「クリーンHIBIKI通信」2016年1月号
クリーンHIBIKI通信
みなさん、明けましておめでとうございます。
2016年最初のクリーンHIBIKI通信です。
弊社は、処分場の建設から廃棄物の受入れ、埋立管理、跡地活用のためのインフラ整備、及び土地分譲まで一貫した事業を行っています。また、北九州市から市の処分場の廃棄物受入・埋立管理の受託もしています。
廃棄物の受入れは公共処分場が昭和55年(1979)2月、自社処分場は昭和58年5月から始まりました。2014年度末まで36年間に受入れた廃棄物の量は約4,500万トンです。
自社の処分場は響灘西部処分場の1号地、2号地、3号地を、公共処分場は響灘D地区処分場1区画、3区画、新門司処分場、響灘西地区処分場2区画、3区画を埋め立ててきました。現在は西部処分場3号地と響灘西地区処分場2区画の埋立てを行っています。
ここでは、弊社が今まで自社処分場と公共処分場で受け入れた廃棄物を土砂・ガレキ、産業廃棄物および一般廃棄物に区分して、それぞれについて受け入れ量の推移をお話します。
【土砂・ガレキ】
2000年まで土砂・ガレキの割合が多いのですが、現在は非常に少なくなっています。これは、建設リサイクル法の施行に伴い、建設資材(コンクリート、アスファルト等)の資源化が義務づけられたことに加え、北九州市が公共工事で発生した土砂を市内に設置した仮置場でストックし、他の工事で必要な場合にその土砂を有効利用する等、建設系廃棄物と土砂の再利用を促進したことによります。
平成4年は白島石油備蓄基地の建設工事で発生した浚渫土砂500千トンを自社処分場で受入れたため、土砂・ガレキは過去最高量の194万トンでした。1988年と1989年は国道495号の建設のために旭硝子と九州工業(旧三井アルミニウム)の埋立地を公共発生残土を用いて造成したため、受入量が減少しました。近年の土砂・ガレキは13万トン程度でほとんどが民間の工事から発生するものです。
【産業廃棄物】
ひびき灘地区にある新日本製鐵や旭硝子の海面処分場の埋立てが完了したため廃棄物の量が1991年位から増加し、2004年には過去最高の84万トンを処分しました。しかし、最終処分場のひっ迫やダイオキシン問題等を契機とする国民の廃棄物問題への意識が高まるなか、日本経団連が1999年に、産業界として循環型社会の推進に向けて取組みを一層強化することとして、産業廃棄物最終処分量を1999年の量6,193万トンを2010年までに25%の1,500万トン以下までに減少させる方針を打ち出しました。各企業も廃棄物削減の努力をしてきた結果もあり、2014年では29万トンとピークの3分の1まで減少しました。
【一般廃棄物】
一般廃棄物は公共処分場のみで受入れていますが、そのほとんどが清掃工場の焼却灰です。ほかに家庭から出るガレキ等の不燃物や道路清掃車の清掃ごみなどがあります。従来、市内の3か所にある清掃工場はストーカ方式の焼却施設でしたが、平成19年3月に新門司の清掃工場がガス化溶融炉という新しい方式の設備にリニューアルされました。溶融メタルと溶融スラグが発生しますが、それぞれスクラップ、建設資材等に活用されます。このため、近年ではそれ以前にくらべ減少し年間7万トン程度です。
現在の年間の搬入量は、50万トン程度で、1992年度の5分の1まで減っていますが、埋立経費や管理費の削減に努めるとともに処分料金を適宜改定するなどして、健全な経営を維持するこができています。